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不動産賃貸Q&A
 

応永4年(1397)に将軍職を義持に譲った足利3代将軍義満が、西園寺公経の山荘の跡に「北山殿」と呼ぶ別邸を造って隠棲しました。
応永15年義満が没するまで政治の中心となりますが、彼の死後、その子義持により禅刹に改められ、 義満の法号にちなんで「鹿苑寺」と号するようになりました。

大半の建物は応仁の乱などに焼失し、 北山文化唯一の遺構であった金閣も昭和25年(1950)に一人の学僧によって放火され焼失してしまいました。
現在の建物は昭和30年に再建されたもので、昭和62年には、金箔が全面張り替えられ、きらびやかな姿を蘇らせました。

 
 

金閣寺は通称で、正式には鹿苑寺。

足利義満の建立した北山御殿が元になっています。
政治の中心として栄えましたが、義満の死後に禅寺となりました。
応仁の乱でほとんど焼けましたが、水を目前にたたえる金閣は残りました。
これも、昭和の放火で1950年に消失、その後再建されました。
さらに金箔をはりかえたものが、現在の姿です。

境内は広大で、中心となる御殿「金閣」の前に広がる池、さらに背後の丘にも池を持ち、 その近くに金閣を見下ろすように茶室が設えてあります。
数多くの文芸作品や随筆に扱われてきましたが、特に終戦間も無い頃の実際の金閣炎上にヒントを得て、 美への嫉妬と内面の確執を描いた三島由紀夫の小説は高名。

 
 

受付をくぐると、すぐに池を望む金閣に迎えられます。
池に写る青空、静かな湖面に広がる金の御殿。
神殿様式、武家様式、唐の禅宗様式を第一層から第三層まで配し、頂上にも金箔の鳳凰が輝くそれは、 銀閣寺の左右非対称な様式と異なり、広大な空間に対峙し圧倒さえする力が漲っています。

晴れ、曇り、雨、雪のいずれにも揺るがぬ強さ。
義満の自信と視線の高さもあるでしょうが、それ以上に感じるのは、新しい美を作る意志。
三つの様式を一つの建物にまとめるなど、下手をすれば単にひっつけただけのものになりかねないが、それがない。
好き嫌いを超越させる、揺るがぬ形の希求。
だからこそ奈良町以来の楽(伎楽、雅楽、そこから生じた日本様式の音楽)から離脱して、 猿楽/能/狂言を新たな芸能と位置付けることもあったのでしょう。

平家は雅楽に馴染んでいましたが、鎌倉を経て室町期で日本はあらゆる方面に新しい美を見出しています。
その真骨頂の一つが、この金閣として集約されているのでしょう。 好き嫌いを問われると、好きな建物とは言い兼ねる私でも、これがすごいということは納得します。
それは、人の不確かな心は確かな形にとらえられてこそいきいきと動くものだ、それを感得したものだけが美の深奥に入っていける、 そういった美的な命令に到達した形を持っているから、感じることだと思います。
逆に言えば好きでない人には、見ていると息苦しくなることもあるかもしれません。

入ってすぐにベストショットコーナーがありますが、その前に右手「陸船の松」を見てから、 おもむろにベストショットコーナーに移動し、ゆっくり池から金閣に対峙し、それから近付いていくのもいいです。
絵葉書だけの構図ではなく 近づけば背後から眺めることもできます。
絵葉書のような構図ばかりでなく、背後の庭や湧き水なども含めて、この庭が持つ抗いようのない小宇宙も見どころと言えます。 その意味ではむしろ、金閣の背後にある、 一段上がった丘にある茶室「夕佳亭」から眺めるのも趣があります。
人によっては「こここそベストショット」と主張される方もいらっしゃるくらいです。
なお、この丘には安民沢という池があります。
水不足でなければ満々と水をたたえ、中央に白蛇塚を持つこの池も含めて、意外に湿度が高いこの場の空気と、 それを切り開く金閣という建物の存在の不思議なバランスもまた、見どころかもしれません。

 
 
金閣寺は衣笠コースの出発点。
ここから南下して等持院をて、さらに京福電車沿いに嵐山まで行くこともできます。
また、ここから北上して鷹峯へ赴き、江戸時代の文化を感じるのも一興でしょう。
北大路を東へ向かえば、大徳寺もあるので、室町文化を継承する大寺院を立続けに見ることもできます。
 
 

参拝時間
午前9:00 〜 午後5:00
参拝志納料
大人・高校生400円 小・中学生300円
団体の扱いはありません。

交通機関 市バス「金閣寺道」
参拝のお問い合せ 鹿苑寺 事務局
〒603-8361 京都市北区金閣寺町1
TEL:075-461-0013

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