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時代祭とは? 10月22日、京都の三大祭りの一つの時代祭が行われる。 明治維新から延暦時代へ、新しい時代から古い時代へと繰り広げられる一大時代絵巻で京都御所から平安神宮まで練り歩く。 |
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平安遷都1100年にあたる明治28年3月に桓武天皇を祭神とする平安神宮が創建された。 |
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当初は6列と少なかった行列も、市域の拡大と共に次第に増え、
1921年(大正10年)に8行列、1931年(昭和6年)に楠公上洛列と豊公参朝列が増え10行列となった。 |
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| 行列は明治維新から江戸、安土桃山、南北朝、鎌倉と7つの時代をさかのぼる。 現在の行列は、18列、約2000人、牛馬70余頭で全長約2kmにおよぶ。 衣装や調度品、祭具は1万2000点にも上る。 京都の工匠や染色の識者が考証研究を重ね、帯1本から糸に至るまで各時代の素材を使い現在に蘇らせた。 |
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| 創建当時、平安神宮の建物の維持や祭りの挙行に、市民が1日1厘のさい銭を奉納することが提案され、
市民が祭りを運営する平安講社の組織づくりが始まった。 平安講社は市内の旧学区単位で構成され、各講社がそれぞれの行列を担当、脈々と受け継がれてきた。 行列に参加する参加者は、数カ月も前から各学区の小学校などで隊列や着付けの練習に入る。 |
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(1)維新勤王隊列 維新の際、京都府北桑田郡山国の有志が山国隊を組織して、官軍に参加した当時の行装を模した。鼓笛隊が先頭を行く。 (2)幕末志士列 明治維新の立て役者となった志士計14人が「七卿落」列をはさんで次々と登場する。 ・桂小五郎(かつらこごろう)1833−1877 萩藩士。 のちの木戸孝允。西郷隆盛、大久保利通と共に維新三傑と称される。 ・西郷吉之助(さいごうきちのすけ)1827−1877 薩摩藩士。 藩主・島津齊彬に抜擢されてNo1に。 第一次長州征伐では幕府軍の主力となるが、坂本龍馬の説得で薩長同盟を結んだ。 西南の役で自刃死。 ・坂本龍馬(さかもとりょうま)1835−1867 土佐藩士。 日本初の商社・亀山社中の創設者、薩長同盟の立て役者など維新最大のヒーロー。 慶応3年京都で暗殺された。享年33歳。 ・中岡慎太郎(なかおかしんたろう)1838−1867 土佐藩士。 龍馬と並んで維新に奔走したが、京都で共に暗殺された。享年30歳。 ・高杉晋作(たかすぎしんさく)1839−1867 長州藩士。 農民、町民の軍隊・奇兵隊を創設するなどしたが、「維新の夜明け」を見ることなく病死した。 ・梅田 雲浜(うめだうんぴん)1815−1859 志士。 元・若狭小浜藩士。藩政を批判し、武士の身分をはく奪される。尊王攘夷を唱え、ロシア艦襲撃を企てた。 安政の大獄で江戸の獄舎で病死。 ・橋本 左内(はしもとさない)1834−1859 越前福井藩の志士。 緒方洪庵らに蘭学・医学を学び、藩主松平春岳に認められて藩政革新に当る。 安政の獄に座し斬罪。 ・吉田 松陰(よしだしょういん)1830−1859 長州藩士。 兵学に通じ、江戸に出て佐久間象山に洋学を学んだ。 常に海外事情に関心を持ち、1854年(安政元年)米艦隊渡来の際に下田で密航を企てて投獄された。 のち萩の松下村塾(しょうかそんじゅく)で高杉晋作、桂小五郎ら多くの維新の志士を教育した。 安政の大獄に座し、江戸で刑死。 (3)徳川城使上洛列 徳川幕府は大礼や年始などの際には必ず城使を上洛させ、皇室に対し礼を厚くした。 城使には親藩または譜代の諸候が選ばれた。 行列の先頭を行く槍(やり)持、傘持、鋏箱(はさみばこ)の「ヒーサー」の掛け声や動作は当時の行列の面影をしのばせる。 (4)江戸時代婦人列 出雲阿国(いずものおくに) 阿国歌舞伎の創始者。歌舞伎芝居の祖。 もと出雲大社の巫女(みこ)といい、京都で念仏踊を興行して大変な人気を呼んだ。 没年は1607年(慶長12年)以後。 (5)豊公参朝列 豊臣家の朝廷参上のうち、1596年(慶長元年)5月の秀頼初参内と、 翌年9月の元服時の参内などは最も盛んであったと伝えられている。列はそれを表したもの。 (6)織田公上洛列 1568年(永禄11年)9月天下統一のため織田信長が兵をひきいて上洛したときの様子を表した。 信長のほか羽柴秀吉や柴田勝家などが登場する。 (7)楠公上洛列 1331年(元弘元年)後醍醐天皇の上洛を導いた楠木正成一族の行列を表す。 正成は後醍醐天皇に応じて兵を挙げ、千早城(大阪府)にこもって幕府の大軍と戦い、建武政権下で河内の国司と守護を兼ね、 和泉の守護ともなった。 正成、正季の甲冑姿が見物。正成(1294−1336)はその後、九州から東上した足利尊氏の軍と戦い、湊川(神戸市)で敗死。 (8)中世婦人列 ・淀君(よどぎみ)1567−1615 豊臣秀吉の側室。名は茶茶。浅井長政の長女。 母は信長の妹お市の方。 柴田勝家滅亡後、山城の淀城に住み、秀頼を生む。 秀吉没後は、秀頼を擁して大坂城に移り実権を握ったが、大坂夏の陣(1615)で落城の際、城中で自刃。 ・静御前(しずかごぜん)源義経の愛妾。 京都の白拍子。 磯禅師の娘。容姿艶麗、歌舞をよくした。 義経と吉野山で決別、捕えられて鎌倉に送られ、鶴岡八幡宮で源頼朝、北条政子らを前にして義経恋慕の舞を舞った。 能の「吉野静」「二人静」「船弁慶」の題材となり歌舞伎などにも多く使われている。(11)平安時代婦人列 ・巴御前(ともえごぜん)平安末期・鎌倉初期の女性。木曾の豪族中原兼遠の娘。 武勇すぐれた美女で、源義仲に嫁し、武将として最後まで随従。夫の戦死後は和田義盛に再嫁し、 その敗死後、尼となって越中に赴いたという。 ・紫式部(むらさきしきぶ)平安中期の女房。藤原為時の娘。 名前は源氏物語の「紫の上」と父の官位「式部丞」からとったという説が有力。 夫と死別後、上東門院(一条天皇の中宮彰子)に仕え、その間、藤原道長らから重んじられた。 三十六歌仙の一。著作は「源氏物語」のほか、「紫式部日記」「紫式部集」など。 (12)延暦武官行進列 この列の大将に当たるのは坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ 758−811)。 平安初期の武将で征夷大将軍となり、蝦夷(えぞ)征討に大功があった。また、京都の清水寺を建立した。 (13)暦文官参朝列 延暦時代の公卿諸臣が朝廷に参上する状況を模したもの。 (14)神饌講社列 時代祭当日の神饌物を奉献する役目の人達。 (15)前 列 御神幸列の前を行くので前列といわれ、雅楽の奏者、迦陵頻伽、胡蝶など優美な行列で多数の狩装束のお供が従う。 (16)神幸列 御賢木(おんさかき)を先頭に、御鳳輦(ごほうれん)を中心とする神幸の本列。 先の御鳳輦が孝明天皇、後の御鳳輦が桓武天皇で宮司以下神職が前後につき従う。 (17)白川女献花列 白川女(しらかわめ)は北白川(現左京区)の女性で、比叡山のすそ野、白川に広がる花畑の花を京で売り歩く。 平安時代から続いてきた。 (18)弓箭組列 京都の丹波には源頼政に従って弓矢の術に秀でた人達が多く、その子孫の人々もまた平素から弓箭組を組織し、 日ごろから射術を研究していた。 延暦の昔、桓武天皇平安遷都の際、その御列の警護をし、維新では山国隊ととも活躍したという。 |
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